茶道具の名物とは?その分類や代表作も解説
公開日 2024/07/31
更新日 2024/11/06
日本では昔から茶道をたしなむ文化が発展し、茶道で使用するために多くの茶器が作られました。茶器は、ただお茶をたしなむ道具から茶道における芸術品と位置づけられ、実際に茶器が使用された時代背景や芸術の特徴などから当時の歴史や文化を象徴する役割も担っています。そのため、茶器の中には見た目が美しいものや、有名な位の高い方が使用したものなどに「名物」「大名物」「中興名物」という格付けがされ、それらは現存しています。今回の記事では、茶道具の名物などと分類する方法や、格付けされた茶道具の代表作を紹介します。
目次
茶道具における「名物」は、茶器の格を指します。具体的には、江戸時代に刊行された由緒ある茶道具を解説した書物である「雲州名物帳」や「玩貨名物記」に登場する茶器のことを指します。
この「名物」の格付けは、室町時代の茶人が中国製の茶器である「唐物」を尊んだことがきっかけとなり、同様に日本の茶器に対しても見た目や特徴などの評価基準ができました。
一説には「わび茶」の作法を確立させた千利休が活躍した、安土桃山時代のあたりに有名であった道具を「名物」という場合もあります。
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ここでは、名物の分類と代表作を解説します。
名物の分類は、以下の3つに分類されます。
「名物」は、千利休の時代に価値を認められるようになった茶道具を指します。
この時代では、千利休による「侘び茶」と呼ばれる茶の湯の価値観により、よりシンプルで洗練されたものが重宝されていました。
「名物」の代表作には、利休が所持していた「利休小茄子(りきゅうこなす)」が有名です。これは、深みのある黒色が特徴的な茶入(抹茶を入れる道具)となっています。また、千利休が秘蔵していた茶道具は「利休名物」と呼ばれています。
「大名物」は、千利休の時代以前に名品として認められていた茶道具を差し、主に足利将軍家が所持していた中国製の茶道具が該当します。また、当時は松江藩七代藩主の松平不昧が大名茶人として名を残しています。「大名物」は、松平不昧が収集した茶道具の目録帳である「雲州名物帳」や、不昧が刊行した名物道具の図説である「古今名物類聚」で使われた格付けの名称です。
「大名物」の代表作には、国宝の「曜変天目(ようへんてんもく)茶碗」や、重要文化財で元は楊貴妃の所有物だったと伝わっている「初花肩衝(はつはなかたつき)」などが有名です。これらは足利義政や織田信長をはじめとする大名が所有した有名な茶道具といわれています。
「中興名物」は千利休以降の茶道具を指し、日本で作られた和物や朝鮮半島で作られた高麗物が中心となっています。これは江戸時代の茶人である小堀遠州によって価値を認められるようになった茶道具です。遠州が記した「遠州蔵帳」や、坂本周斎の編集による「中興名物録」などに記載されています。
「中興名物」の代表作には、「堅手茶碗(長崎)」「赤楽茶碗(無一物)長次郎作」「肩衝茶入(在中庵)」「唐物文琳茶入」「小井戸茶碗 銘六地蔵」「鸞天目茶碗」「丸壺茶入(相坂)」などがあります。「大名物」などと比較すると、見た目は素朴ではありますが、力強い味わいが感じられる茶器が揃っています。
茶道具における名物の分類や、それぞれの代表作を紹介しました。
茶道における「名物」「大名物」「中興名物」の茶器は、時代ごとの茶人による文化の特色が良く表れたものとなっています。それぞれの茶器が持つ特徴から時代背景を知ることで、茶器だけでなく茶道の魅力にも触れる機会となるでしょう。
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この記事の監修者
義村 安悟(よしむら あんご)
《経歴》
美観堂 大阪本店店長 査定歴15年
《コメント》
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